ひす日記BBS

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2017-10

あふれてくる



この曲は前回ご紹介の「変質」とほぼ同時期にできました。
あの時感じた、ジョイの中身の変質、
それに戸惑いおびえながらできたのが、が「変質」で、
それを受け止めねばと、冷静になろうと努めたときにできたのがこの曲。
だから、、ある意味この二曲は兄弟のようなもので、
前回も触れていたように、「変質」はこの「あふれてくる」のイントロでもあるわけです。
(だから、前回の「変質」にはどうしても歌詞が付かなかったのです。)

そういったわけで、実は当初この曲も「変質」という題名でしたが、
そののちジョイが旅立ってからは、弾いていても少し変わって感じられるようになり、
以下のような歌詞が浮かび、別の曲として落ち着きました。

*あふれてくる*

…まだ足を止めるな
…まだ間瞼を閉じるな
…まだ息をやめるな
…まだここにとどまれ *

Ora Ora de shitori egumo
Ora Ora de shitori egumo
Ora Ora de shitori egumo
Ora Ora de shitori egumo **


霞んでゆく…
この景色…
あふれてくる…
この気持ち…

Ora shitori de egumo
Ora shitori de egumo
Ora shitori de egumo
Ora shitori de egumo

ああ ここに
居残る
おまえの
ぬくもり



歌詞の途中にある英語のようなものは、実は日本語のローマ字表記で、
普通に書くと、「おら、おらで しとり いぐも。」
意味は「私は、わたしで一人で逝きます。」という意味で、
ご存じの方はピンと来たと思いますが、これは東北の方言で、
あの宮沢賢治のある詩歌の中からの借用です。
それは「永訣の朝」という詩で、愛する妹との死別を書いたもの。
しに行く妹を前に、何もできない無力感に襲われる賢治に対し、
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」(雨雪を取ってきて、賢治兄さん)
と、恐らく無理に兄に依頼ごとをすることで、少しでも兄の無力感を軽減しようとする妹。
本当に冷たい雨雪が欲しかったのかどうかは別にして、
賢治はその言葉を受け、最もきれいな降りたての雪を集めに走ります。
そうすることで、「まだ、自分にもできることがあるんだ。」と。、少しでも思えたことでしょう。
ですがその後、本当に最後の時が迫り妹はこう口にするのです。
(Ora Orade Shitori egumo)
賢治にしては最も聞きたくはない言葉であっただろうから、
耳にした言葉の意味も理解したくなかったに違いありません。
だからこそ、この部分のみは無機的なローマ字表記になっているんでしょう。
そうせねば、受け止めることのできない言葉であったはず。

じつは私とジョイの最後の時も同様で、
どう考えても見えている最期を、何とか先延ばししたく、いろいろ自分で理由付けをしておりました。

そんなわけで、この曲に歌詞をつける際、
「この部分はこれしかないな。」と思ったのです。

*追記*

「永訣の朝」は本当に良い詩で、
大方の方々は国語の授業でも習ったとは思いますが、
読み返すほどに、いつまでも心にぐっときてしまいます。
そういうわけで、今一度皆さんも読み返し、味わってみていただけたらと思います。

永訣の朝

けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ

銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……

…ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる

わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごの たべものを もらっていかう

わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ

ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ

この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ

(うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる) *

おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ




うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる

→「生まれ変われるならば、
次は自分のことだけで周りを苦しませるような生き方ではなく、
皆のためにこそ、一緒に生きたい。」

死ぬ寸前まで兄を思う優しい心の持ち主であったので、
自分自身を振り返ると、病気で家族に心配をかけどおしだったあげくに先立ってしまう。
そのような、周囲に辛い思いばかりをさせてしまったという気持ちが強かっだろうから、
それを悔いる気持ちで、言った言葉ではないかと、私は解釈しております。
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コメント

かしわばやしの夜

法華経の熱心な信者さんだった賢治にはこれ以外にもグスコーブドリの伝記や虔十公園林、よだかの星がありますが、反面ユーモラスなものも多い。注文の多い料理店、山男の四月、かしわばやしの夜(これが一番笑える)。幻想的な月夜のでんしんばしら、鹿踊りの始まり、幻想的で眼に浮かんでくるように綺麗な、やまなし、といろいろな面があったようですね。国粋主義の法華経教団に入ったことで、父親とのあいだに溝が深まり色々な確執があったんでしょうね。

永訣の朝

歌詞を見てて、おやと思ったのですが、
やはり出典はそこでしたね。
最近、相方が朗読会で「双子の星』をやるので、
ちょい役を仰せつかったのですが、
主人公の二人は、実は、賢治と妹だそうですね。
そんなことを思いながら、読み返してみると、
ン十年前に、仕事で扱ったときとは、また違うおもむきがあります。
最近の特番で知りました。

Re: かしわばやしの夜

なるほど、さすがよくご存じ!

作品に惹かれ、そこから作者に興味が沸きいろいろ調べると、
またその後作品を読み返すと、作品を読み返した時、またちうように味わえるのは面白いですよね。

Re: 永訣の朝

こんにちは!
さすがにゃあさん!
というか、一度読んだことがあれば、
この詩の言葉はどれも子も、耳と脳に残りますよね。
だから朗読会には最適な気がします。

私もずいぶん昔教科書で読み、
試験のために読み込んだ時と今では、また違った感じ方をしています。
内容の解釈自体は何ら変わっていないのですが、
気持の入り方というか、読んだ時の受け止め方、
そういうものの深さが全く違っていますね。
今の方がはるかに深い。

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