全然変わってなくて、全く変わってた! ~N君へ~
私の出身高校では、年に一度全卒業生を対象とした集会が行われます。
いわば、すべての同窓生を対象とした同窓会。
ですので、それに合わせて、いろいろなクラスやクラブなどで同窓会を開かれますます。
そういうわけで、私のいた山岳部も毎年その時は集まって飲むのが恒例になっており、
実は昨日がその日なのでありました。
とはいえ、私は店があるのでその集会には参加できず、
その後の飲み会にちょこっとだけ顔を出す気でいたのです。
ところが、今年は20年ぶりに同期の者が大阪に帰ってきており参加するというので、
何とか時間の都合をつけ、早めに店を抜け出し駆けつけまたのです。
その20年ぶりにの同期の者はN君といい、
当時の副部長で、そして私が当時の部長でありました。
N君は昔から寡黙で、あまり軽口を叩いたりはせず、
必要なことのみを、ぼそりと、それでいて力強く口にするタイプ。
ですが、それは常に必要にして十分なことであるので、
誰しもそれに逆らうことはできなかったのです。
特に練習のメニューなどについては、いくらきつい内容でも、
なにより、彼がまず率先して行っていましたから。
ですので、私の下の代では「鬼の副部長」として恐れられておりました。
そんな彼が卒業後ずいぶん変わったという話は聞いていたのですが、
仕事の都合で遠くに離れてしまい、なかなか会うこともできず、
卒業後やっと会えたのは、今から20年前の同期の結婚式。
でもその時はほんの1~2時間ほどだったので、ろくに話もできず残念に思っていたのです。
だからそれだけに昨日は楽しみで、楽しみで。
久しぶりに会った彼は、見た目は驚くほどに何も変わっておらず、
今、そのまま当時の制服を着ていたとしても、ほとんど違和感を感じないほど!
(少なくとも私の目にはそう映る!)
本人曰く、
「ぼんやりと生きているから成長していないんだよ。」
と。
しかしこの言葉に私はすごく違和感を感じ、その後いろいろ話をするうちに、
その「違和感」は「確信」に変わったのです。
「ああ、こいつ、すっかり変わった!」
そもそも私たちの高校時代は、競争に次ぐ競争社会で、
誰もが絶えず上をめざしせめぎ合うのが普通でした。
そんな中で、実はN君は高校に首席で入学していたもんだから、
いっそうそのような気持ちは強かったのです。
そしてそんな彼が山岳部というクラブを選んだのも、
純粋に高山をめざし、そういう山に登りたかったから。
だからそのために必要な事柄、知識、体力、技術などについては、
それらを身に付けるため、手を抜くことなく努力し、着実に自分のものにしていっていたのです。
ですが、山というものは困難な山行ほど、個人の力ではなく、パ-ティ(グループ)の力が必要になります。
ですから彼は、自分が身につけたものと同等のものを私たちにも求めたし、
当然、下の代の者にも求めました。
ですが実は私の下の代というのは、ありがたくも異常に部員数が多く、
その人数だけをとっても、アルプス縦走などはとても無理ではないかと思われるのでした。
(山行には適した人数があり、増えすぎると身動きが取れなくなり危険なのです。)
そこでN君はどうしたかというと…
鍛えて、鍛えて、いや、しごいて、しごいて、しごき抜いたのです。
そう、前述の鬼の副部長の誕生です。
当時の私は、「ああ、これが彼なりの責任感なのだな。」とそう思っていたのですが、
実は昨日話をしたらそういうことではなかったようで、
「邪魔されたくなかったから、ふるい落としてやろうと思ったんだよ。」
とのこと!
そう、当時のN君にとっての最大の目的は、「山へ行くこと」。
そのために山岳部に入り、体を鍛え知識も技術も身につけた。
なのに、予想以上の部員の数!
万が一、その多人数のために、行きたかった山をあきらめねばならないようなことになれば…
N君はそれだけは絶対に避けたかったのです。
そしてその結果、N君の予想を裏切り、誰一人ふるい落とされることなくめきめきと力をつけ、
また、力をつけきれない者は、ウソのようなしぶとさで耐え抜き、
誰一人、弱音を吐くことなく頑張り通し、無事目的の山にみんなで行くことができたのです。
ここまでは私の知っていた高校時代のN君の話。
だからこそ、冒頭の、「ぼんやりと生きている」という彼の言葉に違和感を感じたのです。
「ぼんやりと?あのNが??」
しかしその後N君はこう話をしてくれたのです。
あの頃は、「山に行きたい」のただ一心で、それ以外のことは見て(見えて)いなかった、
けれど、それだけでない、仲間と一緒に何かをするという楽しさというものを、
目標からそれても、みんなで何かをする楽しさをクラブのみんなから教えてもらった。
いわば、新しい価値観を教えてもらった。と。
そしてその後、近しい人の遭難事故死や、神戸の大震災などの経験を経て、
さらに人とのつながりの大切さを強く意識し出し、
今では、「つねにぼんやりありたい。」と思うようになったとか。
多分、ここでいう「ぼんやり」とは、「ぼ~っとしている」という意味ではなく、
「特定のものに目を奪われ過ぎて、大切なもを見失わないように、
つねに、視野を広くとり、機会を逃さないようにしよう」
という意味なのだなと私は解釈しました。
だからか、昔は何事にでもこだわる姿勢であったのに、
「ああ、確かに僕はこう思うけど、そういうのもあるよね。」と、言う感じで、良い意味でこだわらなくなっていました。
でもそんな彼が妙にこだわっていたことがいくつか。
一つは20年前に、彼が私を責めたてたことについて。
彼によると、当時は私が許せなくて、非常に激しく責め立てたのだそうです。
でも、後ほど思うと、それはまったくの見当違いで、むしろ恥ずかしいことであったから、
私に会えたら、まずはそれを詫びたいと思っていたとか。
しかし当の私にはその記憶は正直あまりなくいので、
「それがホンマであるならば、わしの記憶力が激しく衰えているのか、
もしくは、わしはあんたの言い分が正しく、もっともやと思っていたん違うかな。」と。
実際話の内容を聞くと、その通りに感じたからまず間違いないはず。
そしてまた、もう一つは…
(以下私と彼の会話)
「ぼくはね、彼ら(後輩)たちを(前述のように)ふるいにかけるような酷いことをした。
だからあの子らは絶対にぼくを嫌っているはず。
なのに、今でも何かとよく声をかけてくれる。
だからその点も詫びたいと思っているねん。」
「それはないやろ?
だれもあんたを嫌っていたとは思わんけどね。
だって、いつでもあんたの言うこと、すること、させること、は正しく、間違ってなかったもん。
だからこそ、今でもこうして「集まろう」って声がかかるんやん。
まあ、確実に怖がられてはいたけどな♪」
「そうか…」
「そやで。
身内で怖いおっちゃんがおっても、そのおっちゃんが正しい人ならば、絶対嫌わられることもないし、
そんなことで嫌うような奴ならば、多分今こうしてわしらとつきあいしてへんわ。」
「そういやK(後輩)も、クラブのみんなは家族みたいなものんって言ってたわ。」
「そんでか!そんで去年は飛行機、今年は深夜バスに乗ってわざわざ帰ってきてくれるんか!」
「ありがたいよね~。」
「ほんまありがたい。」
そんな感じで夕方の飲み会だけのつもりが、結局三軒はしごして、
最後はジョイの散歩まで一緒にしながら話をしました。
ジョイも嬉しかったのか、珍しくはしゃいで彼の足もとにまとわりついて行きました。
で、足もとがおぼつかなくよれよれ歩くジョイに対してN君は、

「頑張らんでええから、ぼんやり生きや~。」
お互い腰の重いもの同士だから次に会えるのは20年後か、もしくは誰かの葬式?
でも、まあ、それでもええから、
おたがい、ぼんやり生きて行っとこうな~!
昨日は会えて、本当に嬉しかったぞ~♪ヽ(^∀^)ノ
最後に。
いつもこういう機会を作ってくれる後輩の、S・S・K君たち。
本当にいつもありがとう。
あなたたちあってこそ、こうして嬉しい再会がいつもある。
ほんと、腰が重く出不精な先輩はいつも感謝しているのだよ。
だからこれからも、おんぶにダッコで世話になりたいから、
みんな本当に健康には注意して元気でね!
なんせ、みな家族とはまた別の大切な身内やから。
(*^人^*)
*追記*
この日記を読んでくれたN君からメッセージがありました。
その中でこのような一文が、
「Nは自然の力がとても怖かったんです。」
なるほど、だからこそだったのか…
そして、さらに続くのですが、そこはこっちの話。
また次回会えた時、じっくり聞きたいなと思っています。
いわば、すべての同窓生を対象とした同窓会。
ですので、それに合わせて、いろいろなクラスやクラブなどで同窓会を開かれますます。
そういうわけで、私のいた山岳部も毎年その時は集まって飲むのが恒例になっており、
実は昨日がその日なのでありました。
とはいえ、私は店があるのでその集会には参加できず、
その後の飲み会にちょこっとだけ顔を出す気でいたのです。
ところが、今年は20年ぶりに同期の者が大阪に帰ってきており参加するというので、
何とか時間の都合をつけ、早めに店を抜け出し駆けつけまたのです。
その20年ぶりにの同期の者はN君といい、
当時の副部長で、そして私が当時の部長でありました。
N君は昔から寡黙で、あまり軽口を叩いたりはせず、
必要なことのみを、ぼそりと、それでいて力強く口にするタイプ。
ですが、それは常に必要にして十分なことであるので、
誰しもそれに逆らうことはできなかったのです。
特に練習のメニューなどについては、いくらきつい内容でも、
なにより、彼がまず率先して行っていましたから。
ですので、私の下の代では「鬼の副部長」として恐れられておりました。
そんな彼が卒業後ずいぶん変わったという話は聞いていたのですが、
仕事の都合で遠くに離れてしまい、なかなか会うこともできず、
卒業後やっと会えたのは、今から20年前の同期の結婚式。
でもその時はほんの1~2時間ほどだったので、ろくに話もできず残念に思っていたのです。
だからそれだけに昨日は楽しみで、楽しみで。
久しぶりに会った彼は、見た目は驚くほどに何も変わっておらず、
今、そのまま当時の制服を着ていたとしても、ほとんど違和感を感じないほど!
(少なくとも私の目にはそう映る!)
本人曰く、
「ぼんやりと生きているから成長していないんだよ。」
と。
しかしこの言葉に私はすごく違和感を感じ、その後いろいろ話をするうちに、
その「違和感」は「確信」に変わったのです。
「ああ、こいつ、すっかり変わった!」
そもそも私たちの高校時代は、競争に次ぐ競争社会で、
誰もが絶えず上をめざしせめぎ合うのが普通でした。
そんな中で、実はN君は高校に首席で入学していたもんだから、
いっそうそのような気持ちは強かったのです。
そしてそんな彼が山岳部というクラブを選んだのも、
純粋に高山をめざし、そういう山に登りたかったから。
だからそのために必要な事柄、知識、体力、技術などについては、
それらを身に付けるため、手を抜くことなく努力し、着実に自分のものにしていっていたのです。
ですが、山というものは困難な山行ほど、個人の力ではなく、パ-ティ(グループ)の力が必要になります。
ですから彼は、自分が身につけたものと同等のものを私たちにも求めたし、
当然、下の代の者にも求めました。
ですが実は私の下の代というのは、ありがたくも異常に部員数が多く、
その人数だけをとっても、アルプス縦走などはとても無理ではないかと思われるのでした。
(山行には適した人数があり、増えすぎると身動きが取れなくなり危険なのです。)
そこでN君はどうしたかというと…
鍛えて、鍛えて、いや、しごいて、しごいて、しごき抜いたのです。
そう、前述の鬼の副部長の誕生です。
当時の私は、「ああ、これが彼なりの責任感なのだな。」とそう思っていたのですが、
実は昨日話をしたらそういうことではなかったようで、
「邪魔されたくなかったから、ふるい落としてやろうと思ったんだよ。」
とのこと!
そう、当時のN君にとっての最大の目的は、「山へ行くこと」。
そのために山岳部に入り、体を鍛え知識も技術も身につけた。
なのに、予想以上の部員の数!
万が一、その多人数のために、行きたかった山をあきらめねばならないようなことになれば…
N君はそれだけは絶対に避けたかったのです。
そしてその結果、N君の予想を裏切り、誰一人ふるい落とされることなくめきめきと力をつけ、
また、力をつけきれない者は、ウソのようなしぶとさで耐え抜き、
誰一人、弱音を吐くことなく頑張り通し、無事目的の山にみんなで行くことができたのです。
ここまでは私の知っていた高校時代のN君の話。
だからこそ、冒頭の、「ぼんやりと生きている」という彼の言葉に違和感を感じたのです。
「ぼんやりと?あのNが??」
しかしその後N君はこう話をしてくれたのです。
あの頃は、「山に行きたい」のただ一心で、それ以外のことは見て(見えて)いなかった、
けれど、それだけでない、仲間と一緒に何かをするという楽しさというものを、
目標からそれても、みんなで何かをする楽しさをクラブのみんなから教えてもらった。
いわば、新しい価値観を教えてもらった。と。
そしてその後、近しい人の遭難事故死や、神戸の大震災などの経験を経て、
さらに人とのつながりの大切さを強く意識し出し、
今では、「つねにぼんやりありたい。」と思うようになったとか。
多分、ここでいう「ぼんやり」とは、「ぼ~っとしている」という意味ではなく、
「特定のものに目を奪われ過ぎて、大切なもを見失わないように、
つねに、視野を広くとり、機会を逃さないようにしよう」
という意味なのだなと私は解釈しました。
だからか、昔は何事にでもこだわる姿勢であったのに、
「ああ、確かに僕はこう思うけど、そういうのもあるよね。」と、言う感じで、良い意味でこだわらなくなっていました。
でもそんな彼が妙にこだわっていたことがいくつか。
一つは20年前に、彼が私を責めたてたことについて。
彼によると、当時は私が許せなくて、非常に激しく責め立てたのだそうです。
でも、後ほど思うと、それはまったくの見当違いで、むしろ恥ずかしいことであったから、
私に会えたら、まずはそれを詫びたいと思っていたとか。
しかし当の私にはその記憶は正直あまりなくいので、
「それがホンマであるならば、わしの記憶力が激しく衰えているのか、
もしくは、わしはあんたの言い分が正しく、もっともやと思っていたん違うかな。」と。
実際話の内容を聞くと、その通りに感じたからまず間違いないはず。
そしてまた、もう一つは…
(以下私と彼の会話)
「ぼくはね、彼ら(後輩)たちを(前述のように)ふるいにかけるような酷いことをした。
だからあの子らは絶対にぼくを嫌っているはず。
なのに、今でも何かとよく声をかけてくれる。
だからその点も詫びたいと思っているねん。」
「それはないやろ?
だれもあんたを嫌っていたとは思わんけどね。
だって、いつでもあんたの言うこと、すること、させること、は正しく、間違ってなかったもん。
だからこそ、今でもこうして「集まろう」って声がかかるんやん。
まあ、確実に怖がられてはいたけどな♪」
「そうか…」
「そやで。
身内で怖いおっちゃんがおっても、そのおっちゃんが正しい人ならば、絶対嫌わられることもないし、
そんなことで嫌うような奴ならば、多分今こうしてわしらとつきあいしてへんわ。」
「そういやK(後輩)も、クラブのみんなは家族みたいなものんって言ってたわ。」
「そんでか!そんで去年は飛行機、今年は深夜バスに乗ってわざわざ帰ってきてくれるんか!」
「ありがたいよね~。」
「ほんまありがたい。」
そんな感じで夕方の飲み会だけのつもりが、結局三軒はしごして、
最後はジョイの散歩まで一緒にしながら話をしました。
ジョイも嬉しかったのか、珍しくはしゃいで彼の足もとにまとわりついて行きました。
で、足もとがおぼつかなくよれよれ歩くジョイに対してN君は、

「頑張らんでええから、ぼんやり生きや~。」
お互い腰の重いもの同士だから次に会えるのは20年後か、もしくは誰かの葬式?
でも、まあ、それでもええから、
おたがい、ぼんやり生きて行っとこうな~!
昨日は会えて、本当に嬉しかったぞ~♪ヽ(^∀^)ノ
最後に。
いつもこういう機会を作ってくれる後輩の、S・S・K君たち。
本当にいつもありがとう。
あなたたちあってこそ、こうして嬉しい再会がいつもある。
ほんと、腰が重く出不精な先輩はいつも感謝しているのだよ。
だからこれからも、おんぶにダッコで世話になりたいから、
みんな本当に健康には注意して元気でね!
なんせ、みな家族とはまた別の大切な身内やから。
(*^人^*)
*追記*
この日記を読んでくれたN君からメッセージがありました。
その中でこのような一文が、
「Nは自然の力がとても怖かったんです。」
なるほど、だからこそだったのか…
そして、さらに続くのですが、そこはこっちの話。
また次回会えた時、じっくり聞きたいなと思っています。
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