ひす日記BBS

日々の出来事や、連絡事項

2018-04

テンション

最近は便利になったもので、ネット通販で家にいながらいろいろなものを買うことができます。
だから欲しいと思たっその時に買うことができるのですが、
いざ商品が手元に届くのはその数日後。
これは当たり前のことでどうしようもないことはわかっているのですが、
そのわずかなタイムラグが、こちらの心情に微妙な変化を及ぼすのですよ、
私の場合は。

つまりまあ、以前から欲しかったものや必要に迫られ買ったものはともかく、
「あ、これいいな。ちょっと読みたいな…、えい、買っちゃえ!」
そういったものは、その買うときのタイミングが最も気持が高まっているので、
その後手もとに届くと、
「あ、来たか。」もしくは、「あれ?なんだったっけこれ?ああ、あれか!」
といった感じになってしまっており、
「じゃ、今日はなんだから、今度時間のある時にゆっくりと読もう、観よう。」
とそう思い、ついついそのまま積み上げてしばし放置ということが良くあるのです。

そのくせ、いつかのフリーマーケットの時の様に、
実物を目の前にして、いつもより自制心が強く出て買うのをためらう。
で、その後帰宅してから、
「あの時買っておけばよかったな~。」
と、そんなネットの時とは正反対のようなこともあったりするのです。

なんなんでしょうね、これ。

思えばネットの時は、大体がワンクリックで気軽に買えちゃうから、
商品に対する吟味がややおろそかになっているのかな?
というか、もっと極論すると、商品を手に入れることよりも、
「買物をする」という行為に気持ちが向いているという部分も否定できない。
ある意味「買物依存症」のような感じなのかな?

そういや、似たような感じでこういうのもあります。
映画のCMなどを見て、「あ、これ観てみたいな…」とそうは思うものの、
私はめったに映画館に行かないので、DVDになった頃観ようとか思うのですが、
いざそれがDVD化されレンタル店に並んだとしても、
観たい気持ちは相変わらずあるものの、
借りに行き、そして観て、そして返却しに行く、
その手間を思うと一気に気持ちが萎えてしまい観る気がうせてしまうのです。




我ながらややこしいな…

(=^^=)ゞ





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日記という名のタイムマシン

先日ジム仲間のルナ氏がわたしの書いたこういう記事(貧乏性~ブログ篇~)を読み、
こういう感想を述べてくれました。

「全く同感。ほんと、日々いろいろありすぎるわ。
おまけに、昔の異出来事も結構覚えているから、
まったくもって話のネタが尽きることが無いねん。
昔から日記を書く習慣があったから、そのおかげやと思うわ。」


実は私も同様で、小さな頃から日記を書く習慣があり、
小学校2年から始めたそれは結婚するまで毎日続いておりました。

とはいえ、それは日に数行程度で日記と呼ぶにはあまりにもお粗末なもので、
例えばこのような感じ。

①「机の上にある干し柿がずいぶん黒くなってきた。」
②「今横でおじいちゃんがくしゃみ?をした。」
③「今日は*パンダが池にはまった。」

ですが、私がこれを読み返すと、当時の異風景や考え方がありありと浮かんでくるのです。

例えば…

①正月前に自分で干し柿を作ろうと、友人宅で渋柿をもらい、
それを加工し、机の前につるして日々楽しみにしていたのに、
予想以上に黒くなってきてしまい、食べれるのかどうか不安になっていた。
②祖父がしたのは実は「咳」なのだが、当時(小2)の私はその単語がどうしても出てこず、
「くしゃみ」と書きつつも、「絶対そうじゃないよな…」と思ったので、
悶々としつつ「?」と書き加えていた。
③兄が嫌がるパンダを自転車のかごに入れ公園まで連れて行ったので、
かごから飛び出したパンダが興奮し池に飛び込み、
助け上げた私たちの体も池臭くなっていやだった。

とまあこのような感じで、書いていない当時の出来事や気持ちど、
ほぼ半世紀前のことにもかかわらず、まるでつい先ほど体験したかのように、
はっきりと思い出すことができるのです。

で、そういう話を前述のルナ氏にしていると彼が、

「日記って、タイムマシンやんなぁ~。」

と。

そうそうそう!
それは私も常日頃から思っていたこと!
そうなんですよ、まさにそれ!

日々の単なる出来事だけでもいいけれど、
そこに一言二言、その時の自分の感想や心情を書き加えておくだけで、
その後記憶からなくなったと思っていても、
数年後、数十年後、何かの折にその日記を目にしたとき、
その感情などが引き金となり、
当時の風景、色彩、果てはにおいまで瞬時に脳裏に浮かんでくる。

つまりそれは、一瞬で追体験できるわけだから、
ある意味過去へ向けてのタイムマシン。

これは何も、年を取った今だから言えるのではなく、
小さな頃からそう思っていました。
だからわたしの場合、基本的に書いた日記は書きっぱなしで読み返さずに、
たまたま何かの折に日記を手にしたとき適当なページをめくって読んでみる。
そうすると、自分で書いたはずなのに、ものすごく新鮮でかつ懐かしく面白い!
たとえるなら、そう…
不意に街中で昔よく聴いた懐かしい曲が流れてきて聞きほれるような、
そんな感じかな?
(この感覚は以前書いた「ネズミ貯金」とよく似ていますね。)


そんなわけで、ずっと書き続けていた日記は今ではこういうブログという形になり、
文字だけではなく写真も残せるようになったのだから、
タイムマシンとしての性能もずいぶん上がったなと感じております。
おまけに、すごくお手軽にもなっている♪

だから、あまり利用したことはない、
もしくは、まだ利用したことが無いという方々も、
これを機会にぜひ一度ご利用されてみてはいかがでしょう?

だって、こんなに面白いおもちゃですよ!
少なくとも、私はこの面白いおもちゃを手放したりするはずないでしょうから、
これから先も多分飽きずに続けるだろうなと…

(=^^=)ゞ


*パンダ
→当時飼っていた犬の名前。命名は妹。
panmise.jpg
小さい時、犬に追いかけられ犬恐怖症だった私を、
正反対の犬大好き人間に変えてくれた、最初の愛犬。
こう見えても、かわいい女の子なんです。
(くわしくは、こちら参照。)

蚊の話

さてさて、先日の日記で書いておりましたように、
先日の午後、私は河原でのんびりコーヒーを飲んでおりました。
で、実はその時少し不思議に思うことがあったのですよ。
それは、一服しようとバイクを止めたときのこと。

エンジンを切ってバイクを止め、そしてヘルメットを脱ぐなり、
ん?
あちこちからやぶ蚊がブンブン飛んできたのです。

いきなりかい!

そらまあ、こういう薮の近くは完全に彼女らのテリトリーですから、
私はまさに飛んで火にいる夏の虫。
というか、藪で火を使う夏の人。
しかしまあ、そういうことは織り込み済みだったのと、
私はなぜか成人してから蚊に刺されなくなったので、
手で追い払いしているうちに、気づく蚊の姿がほとんどなくなってしまったのです。
でも蚊がいなくなったのではないから、つまりは寄ってこなくなった。
そう、蚊が私を避けたというか無視している?
虫だけに…φ(._*)☆\(-_-)

そういえば、たいてい友人や家族と屋外に出ていて皆がすごく刺されても、
私はほとんどさされない。
これは今まで、「刺されない」のではなく、刺されても「痒みが出ない」と思っていたのです。
(2~3歳までによく刺された子供は耐性ができ、のちは痒みを発症しにくくなるのです。)

また、血液型にも刺されやすいものとそうでないものがあり、
わたしはA型という一番刺されにくいものであるといことも知ってはおりましたが、
それでも、あくまで「刺されにくい」というだけであって、寄ってこないのとは意味が違う。

これはいったいどういうことだろう??

そこでちょいと調べてみると、こういう記事を見つけました。

蚊に刺されないための7つの対策と、かゆみを抑える9つの方法

でまあ、その中にはよく耳にする、「体温」「呼気」「新陳代謝」「血液型」などの項目の他に、
「ストレス」というものがありました。
つまり、
蚊は人間がストレスを感じたときに出す物質を嫌う
のだとか。

他の要因は、すべて蚊が好むもので、
例えば、体温が高く、呼吸が荒いほど蚊は寄ってきますが、
反対に体温が低く静かな呼吸でも、程度は低いものの蚊は寄ってきこそあれ、
避けるということはありません。

つまり、蚊が避けるという要因は、メジャーなものだとのストレスだけ。

ということは、なにか?
つまりは、
それ、
私は常にストレスを抱えているということか?
あんなにのんびり木陰でコーヒーを楽しんでいる時でさえも?!

もしそうならば、私は成人してから一度としてストレスから解放されたことがないということになる。
なんてカワイソウなんでしょ!

だからみなさんどうぞ、この私を見かけたら優しくいたわってやってくださいね。
(*^人^*)



ちなみに、わんこもその毛色の違いで蚊に刺されやすさに差があるそうです。。
さて、この白黒のお二方のうち、蚊が好むのはどっち?
IMG_6514.jpg
「しろかな?」
「くろかな?」


正解は黒!

IMG_6515.jpg
「やった~!」
「そこ喜ぶとこ?」



蚊が色目の黒いのを好むということだけではなく、
なんでも、黒い犬の足の裏から出るにおいは、
蚊にとってとても惹かれる良いにおいなのだとか…

ほ~~~!

うちの奥さんはよくわんこの足の裏をかいでは、
「クッキーの匂いがする!」
と言っているけど、それのことだろうか?

(=^^=)ゞ



*追記*

そうそう、蚊といえば漢字で「虫」に「文(ブン)」と書きますが、
これは蚊の羽音が「ブンブン」と聞こえるところからそうなったそうです。
なんかおもろいね。
ちなみに「猫」という漢字もおなじなりたち。
「けものへん」に「苗」ですが、「苗」は「まお」と発音するので、
「にゃ~」ではなく、「ま~ぉ♪」と聞こえていたんですね♪

(*^人^*)

タイムカプセル

今日は1月15日。
以前はこの日が成人の日だったので、私はどうしてもいまだにこの日に反応してしまいます。
で、先日の古い牛乳の話ではないですが、こういう話を思い出しました。

たしか、娘が成人式を迎えた年に、小学校時代の同窓生が集まって、
卒業時にみんなで埋めたタイムカプセルを開けるというイベントがあったのです。
そういうわけで、みな久々に集まって、わくわくしながらカプセルを開けたところ、
当時こっそりと誰かが牛乳を入れていたために、
カプセルの中が素晴らしいことになっていたとか…
(まあ、犯人は近所に住む娘の幼馴染だったんですがね♪)

8年越しの常温保存の牛乳か…
こりゃすごいわ!

さて、こんな感じで今では成人式の時にタイムカプセルを掘り起こすのが定番化しているようですね。
だからついこの間の成人の日にも、あちこちでいろいろなものが掘りかえされ悲喜こもごも。
さぞかし楽しかっただろうな~♪
なんせ、私たちの時代はそういうのが無かったから、ちょっとうらやましい。

でもね、個人的なタイムカプセルは実はあるのですよ。
それこそ屋根裏やガレージの押し入れに、箱に詰めた様々なもの。
長らくしまい込まれたそれらのものたち、
それらを、ある時ふと開封した際には、

「あ~、はいはいはい、懐かしい~!」

とプチタイムカプセル的な楽しみ方ができるわけで、
気持的には、一気に当時に戻れるから、もはやそれはタイムカプセルどころか、
タイムマシンであったりもするのです。

さてこのようなものは無論他の方々もあるようで…

実は最近いろいろな方々から、様々なものをお譲りいただいております。
大きなものでは、冷蔵庫に洗濯機、換気扇、
小さなものでは、バーベキュー用の串に、砂糖の空き缶。
もう数え出したらきりがないほどたくさん!
で、それらの多くは、「村文化促進運動」の一環として例の山小屋に運び込んだわけです。
(まあ、考えてみりゃ、あの山小屋自体がこんな感じでタイムカプセル的なもんですね。)

で、実はそういうお宝の中に、まさにタイムカプセル級のお宝が!
もうほんと、その方の若かりし頃の思いの詰まったタイムカプセル!

それがもう本当に、なんというか、ものすごいので、
私個人の手には余るため、ほかの者と一緒に山小屋へ運び、
そこでみんなと楽しむことにしたのです

で、で、で、それがなにかと言いますと…






言えない!

というのも、固く口止めされているから。

でも、

でも、でも!

ぼ、僕はすごく言いたいんだ!


でも、

言えない!

でも言いたい!

だからもう言っちゃう!
(「ロマンティックが止まらない」のメロディで。)

お宝何かいいたいFu-Fu♪
お~た~から~♪ 何かをいいたいFu-Fu♪
お~た~から~♪ 
何かを~♪(Dont say)
いいたいよ~♪(Shut up)
お~宝 何~かを~
いいたい~!
(ガイジン ガイジン ガイジン ビンテージ…)

φ(._*)☆\(-_-)レイザーラモンRGか!
(詳しくはこちらの3:14あたりを)

いやほんと、ほんとうのほんとにものすごく言いたいのだけれども、
これは固く固く口止めされているので、どうしても知りたい方はぜひ山小屋まで。

てなわけで、今後そのお宝は山小屋で保管することとなったため、
この先、わしら全員が滅んだのち、
その場所を掘り越す誰かがあったとしたら…

「な、なんじゃこりゃ~!?」

と、さぞかしびっくりするのだろうな~。

ま、牛乳の様に腐ることはないからその点は安心だ♪

その記憶って本当の記憶?

私は常々口にしているように、「神」や「死後の世界」、
「運命」、「生まれ変わり」などというたぐいを信じていないので、
いわゆる「無神論者」ではあります。

ですが、定期的にお墓参りをし、その際は手を合わせ色々報告しますし、
寝室には、昨年逝ったジョイをはじめ、他の子たちの遺骨が入った骨壺を並べ、
たまにそれに話しかけたりはしております。
そう思うと、完全に無神論者ではないのかもとも思ってしまいます。

でもやはり、よくある生まれ変わりの話や死後の世界、
そういった類(たぐい)の話には、ついつい胡散(うさん)臭さを感じてしまうのです。

なぜだろう?

そこで、その「胡散臭さ」の原因をよく考えて抽出してみると、
それはどうも、その話の背後にある何とも言えない一本の道筋のような雰囲気。
もっと分かりやすくいうと、物語の背後からちらほらと見え隠れする話し手の思惑。
そういうものが、どうにもこうにも感じられてしまうので、
それがどうも胡散臭く感じられて仕方がない。

実は私たちが見たり聞いたりしていることや、
そう体験したと記憶している事柄など、そういったすべてのものは、
脳内でそう感じているだけに過ぎないことなので、
実際に見たか聞いたか、はたまた体験したかどうかは、
本人の確固たる自覚があるといえども、それが本当かどうかは怪しいのです。

実際に子供の頃の記憶が実は全く他人の経験によるもので、
それを見聞きしているうちに、自分の体験だと思い込み、
記憶を完全に上書きしてしまうことも、稀ではなく非常によくあるケースなのです。
そしてその上書きされた記憶には、色、臭い、痛み、そういった感覚による記憶も、
すべて完全にはっきりと残っていることもまたよくあること。
だから本人にとっては、疑いようのない事実であり体験であるだけに、
第三者からそのような事実がなかったことを指摘されるまで全く気づけないのです。
いわゆる思い込みというやつですね。

ですが、その体験がすごく私的で他者の関与がなかったものであれば、
その思い込みは、完全に事実になってしまうのです。
少なくとも本人にとっては。

だから、その「思い込み」の体験が一般的なものであれば、
本人も、聞き手も全く違和感も疑問ももたないので問題はないのですが、
ちょっと変わったものであれば、
「え?それ本当?」
と、突っ込まれてしまう。
でも、前述のように本人にとっては事実以外の何物でもないから、
嘘をついている気など全くなく、
「本当のこと!」
と胸を張ってこたえるしかない。

実は、この記憶の上書きは、ある意味一種の自己暗示のようなものでもあるので、
最初は自分でも嘘だとわかっていても、いつの間にか自分でそれを信じ込んでしまい、
やがて完全に記憶を上書きしてしまい、そう思い込んで疑わなくなるというのもよくあるケース。

さらにいうなら、被害者と加害者という全く相反する立場、
そういうものの記憶すら入れ替わることもよく知られています。
たとえば、
「子供の頃、友人に鉛筆で刺され、後日相手が親とともに病院へ見舞に来た。」
この記憶が全くの正反対で、
「友人を過て鉛筆で刺してしまい、後日親に連れられ謝罪と見舞いに行った。」
ことが本当だった話などよくあるのです。
この場合などは、自分で自分に嘘をついたつもりすらなく、
恐らくは、そのしでかしたことの大きさに耐え切れず、
無意識に記憶の改ざんをしてしまったというのが正解なんでしょう。

そのようなことから、
私は、どう考えてもおかしい話。
理屈にあわないない不思議な話。
そのような話はまず信じません。
それが、「本人が体験した」と嘘つく様子も無くいったとしても。

でもね…

でも心霊写真や怖い話は人一倍好きで、
見たり読んだりしては、
その都度震えて眠っておるのです。
(=^^=)ゞ

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